State of Doubt

 

アーティストの10ヶ月間の日本滞在時における成果発表と交流会

2012年7月19日~28日 12:00-19:00 @ アート・ラボ・アキバ 地図

721日(土)、22日(日)アフターヌーンティーミーテイング Afternoon Tea Meeting 1500

7月28日 ディスカッションイベント 17:00-19:00 パーティー Closing Party 19:00-20:30 お飲物をお持ち下さい。参加料500円

 

Intro

マレーシア出身のアーティスト、チ・トゥは、アジアン・パブリック・インテレクチュアル・フェローシップ(日本財団による)の助成を受けて、201110月から20128月の初旬まで、東京に滞在し、その間、7つのパフォーマンスを行なっています。チ・トゥのコンセプトは、第二次世界大戦でのアジアでの出来事と日本が被った原爆についての日本人とマレーシア人の認識と記憶のずれを解消し、相互理解へと続く道を模索する、というものです。この荷の重すぎるミッションを彼はどう表現、体験しているのでしょう?

帰国直前の7月である今回の展示では、制作の記録などの展示の他、観客ともに行なうディスカションイベントを行ないます。

 

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Chi Too

 

Profile

chi too is currently a fellow with the 'Asian Public Intellectuals Fellowship' (API) Program funded by the Nippon Foundation. Through the API, he is spending 10 months in Tokyo beginning October 2011. He is currently hosted by The Maruki Gallery For The Hiroshima Panels in Higashi-Matsuyama, Saitama prefecture and is based in Tokyo, Japan.

 

He has recently shifted his focus from film making to fine art practice using humour, satire and visual poetics to create a diverse system of objects that includes videos, installations, performances, sculptures, and photography to reveal his own never ending emotional struggles and personal reflections.

 

His experimental music, poetry reading and playful self-organized public art projects such as Main Dengan Rakyat, Everything’s Gonna Be Alright and Lepark display a genuine need to engage with space and audiences that form part of his complex multifaceted approach to practice.


プロジェクトの完成が佳境に向かった今、「私はいったい何をしているのだろう」と自問し始めています。

 

このマレーシア人のアーティストが、日本で、誰も話題にしたくない第二次大戦の時代を調べるということは、いったい、どういうことでしょうか?

 

私が関わりの中で試みていることは、観客や、私を信じて手伝ってくれた人たちを不愉快にさせるようなことだったのではないでしょうか?

 

実のところ、私はこのテーマに関心があったのでしょうか?

 

私は日本に滞在している間、最も遠避けられているタブーな話題、第二次大戦と日本人の責任についてあれこれ考えて来ました。その中で、私は、私の協力者たち、コラボレーションした人たち、観客、そして友人たちに、彼等にはどうすることもできない、ある意味、責任を負う事ができない問題に、直面させました。

 

私が、ひどくいやなムードを引き起こしたことは否定のしようがありません。それゆえ、今ここで、立場が逆転することにより、公平になると思います。

 

これは展覧会ではありません。鑑賞ではなく、皆さんにじっくり審理していただくために陳列します。私は、認められることや、賞賛されることを希望しておりません。私のやってきたことへの皆様からの尋問、そして、私の目的そのものに問いを発してもらいたいと思っています。

ジレンマと向かう7つの行為


 キュレーター: 太田エマ   

確実であることが危険なことならば、 チ・トゥはむしろ、彼のミッションが、安全な方向に進むことを望むでしょう。(つまり、不確実性の方が重要である。)


 それは、隠れん坊の遊びで始まり、卵を投げること、そしてそれは、激しい喧嘩に発展。観客の足を洗うことで謙虚に謝罪してみせましたが、それは軍歌のメロディの中に再び頭をもたげ、「千人針」のステッチを人々に求め、今まさに、600万の葉を刈り取ってしまわないことには、その罪滅ぼしは終わりそうもありません。
 特有の対話や対面の方法を追求しながら、 チ・トゥ はこの10ヶ月をかけて、歴史を掘り下げてきました。彼は、私たちがもう取り除いて、捨てたと思っていたものを、私たちのテーブルの皿に再び、持ち出してきました。アイデンティ、社会、国家などの臓物料理を無理に勧めるので、私たちはそれらを、押しやりたい気分に襲われました。しかし、 チ・トゥはそれを許さず、私たちに、それを口にすることを主張してきました。


 それらアクションの中で、チ・トゥ はチャレンジの場を切り開き、私たちが「受け取っている」現実を切り崩そうとしましたが、その切開作業の中で、自分自身の動機やその行ないをも、自ら解剖を試みたため、だんだんそこにある種の矛盾に格闘するようになってしまいました。今や、彼自身が緊急事態に追い込まれています。
彼は、私たちの行動、過去、価値観などに、責任を問う事を目的としましたが、アーティストとしての責任は逃れるわけにはいきません。彼は7つのパフォーマンスの責任を自分自身で負わなくてはなりません。回りの世界へ次々問題提起した、アーティストの特権的なポジションは、ここで、私たちが問い返さないことには、成立しないでしょう。


チトーが提供した喪失、消去、誤解の盛りだくさんな大皿料理を口におしこまれて、私たちの喉からは、(げっぷのような)疑問がわいてくるに違いありません。
あなたの舌の上に、今出て来ている疑問はなんですか?
ご来場ください。
そして、それを吐き出してください。


ここは展覧会ではなく、疑問と審理の場所となります。
私たちへの問いであるだけでなく、テーブルを回転させ、アーティストである彼自身を問いの対象にする場所なのです。
 ここでは合意がなく、暗黙の了解もなく、私たちの行為や判断が正義であるという保証もありません。私たちとアーティストはジレンマに陥り、意外な展開に導かれるかもしれませが、私たちはもはや立ち止まることは許されません。私たちすべて、ある疑問の状態の場所に連れて行かれます。

この取調室ではチ・トゥの7つの行為の証人鑑定書や証拠が提出されます。
また展示期間中、何度かのイベントで(7月21・22・28日)、アーティストとその所業について反対尋問に、皆さんをお呼びしたいと思います。

 

 

 

state of Debt 負債の状態

 

協力キュレーター:山岡佐紀子

 

 アーティスト、チ・トゥは、とある日本の財団の助成を受けて、201110月から東京に滞在し、20128月のはじめに帰国する予定である。その間に、7つほどのパフォーマンス作品を制作した。

 彼の日本滞在での作品のコンセプトは、マレーシア人と日本人との相互理解、特に第二次大戦における互いの経験と記憶、その相互認識のずれの解消という、外交の場であれ、文化交流であれ、誰でも尻込みしてしまうような偉大なるミッションである。しかし、彼をそのために、創造性と寓意に富んだナンセンスな「ゲーム」の手法を用いようとしていた。(最初のパフォーマンスのタイトルはピカブー。鬼ごっこを意味するピークアブーと原爆のピカをかけている。)

  私は彼の3つめのパフォーマンスに一度、相方として関わった。それは、人通りの多いパブリックスペースで、互いの頬を平打ちし合う、というものだった。彼は、パブリックスペースでの、日本人の反応や態度というものを、リサーチしたかったようだ。彼は正月早々、私の町にやってきて共同作業を申し入れた。私は彼の話を聞いて、アーティストとしてシンパシーを感じた。リアルと創造性を混ぜる手法は私の方法でもあったから。それで、私は、かなり軽い気持ちで関わることにした。しかし、それは予想に反して、あまり、軽いものではなかった。彼は、容赦がなかった。彼の手が耳にあたり、かなり痛かった。しかし、私は、彼の前に立ち続けた。どうコンセプトを進行させるかが、私たちアーティストにとっての能力発揮のしどころだから。それは、彼の滞在5ヶ月目くらいのことだ。

 そして、いつの時点からか、わからない。彼のコンセプトが「相互理解」から、「あなたは何か忘れていませんか」に変わったような気がする。何がそうさせたのか? そして、さらに彼は、「日本人にとって、最も不愉快でタブーであるトピックに無理矢理でも、引き込む」ことが目的だというパフォーマンスも行なった。彼は実に果敢に方法を変えながら、挑戦していた。

  彼の滞在はあとひと月余り。プロジェクトはまだ、終わっていない。彼は本当のところ、ここで何がしたかったのか。相互理解とは、いったい、何なのか。そういう、外交用語の、幾何学のような関係性が、生身の人間たちの関係に可能なのか?彼は本気で、相互理解の儀式を執り行いたかったのか?あるいは、彼は、地政学上の「感情」を乗り越え、芸術上の「よりラディカルな」葛藤の領域まで、私たちを導くつもりなのか(ならばそれは素晴らしい。私は気持ちよくともに葛藤するだろう)。

 

 なんにしろ、彼は、私に「負債」がある。私は、あの平手打ちの痛みがまだ「全然、忘れられない」。そして彼も痛かったはずだ。そして、互いの痛さは比べられない。そして、いろいろ考えてみたが、どっちがどっちに負債を負っているのか、よくわからない。人が人に痛みを伝えることほど、難しいことはないのだ。

 私は彼に、このまま、この痛みへの問いに対する「おとしまえ」をつける努力なしに、帰国してもらいたくない。私は、彼に、「マレーシア人」としてよりもむしろ、モダンアート以降のグローバリズムの言語のひとつである、ファインアートの技法を用いる「ひとりのアーティスト」として、この10ヶ月にどんなユニークなことを経験、創造しえたのか、「私たち」に語って欲しい。なんとしてでも、どんなことも、創造力の領域までに引き上げるのが、「私たち」アーティストの「決着」の方法なのだから。そして、彼は、きっとそれを見せてくれるだろう。

 


ACCESS

 

 

 

アート・ラボ・アキバ

〒111-0053 東京都台東区浅草橋4-5-2 片桐ビル1F 

 

お問い合わせ

info(at)dis-locate.net

080-5447-9338

 

チ・トゥ chi too : www.chitoo.net 
太田エマ Emma Ota : www.dis-locate.net
 
山岡佐紀子 Sakiko Yamaoka : www.sakikoyamaoka.com